まず最初の記事に何を書こうか迷ったが、ここはまよのツアーの原点である大昔のラダック班について、昔の日記を掘り起こして書くことにした。
2016/8/4(1日目) 京都→関空→ガンディー国際空港
この日は一緒に行く班員たちと朝5時に部室集合だったのだが、5時ちょうどに着くと「やっと来た‼」と言われた。携帯を見ると、班長からの着信が5件ぐらい来ていた。電車の出発時刻もまともに覚えていなかったので、かなり悠長に集合したら、切羽詰まって至らしくて、特に感動的な出発の送別もなく、5時34分発の電車で関空に向かった。関西空港を利用したのはこの時が初めてで、後に海外ツアーから国際学会に至るまでこの空港のお世話になるとはこの時は微塵も思っていなかった。
関西空港には8時ぐらいに着いたが、食堂の朝食としてすき屋の牛丼を食べた。無知だったまよは、インドでは牛肉が食べられないことを知る由もなかった。11時に手荷物(自転車)預かりしましょ、と自由時間になったが、こんだけ余裕があるならもっと集合時間遅くてもよかったでしょ、と今更思う。
列に並んで自転車を預けるのだが、この時は班員だれもが特大荷物の追加料金を払うなど微塵も思っていなかった。大体こういうのは、交渉すればカウンターのお姉さんも目くじら立てずにそのまま預かってくれることが多いのだが、ちょうどのタイミングでお局のような、全身ヒョウ柄、サングラスを着けたおば様がやってきて、「オーバースペックなら追加料金です」ときっぱり言ってみんなで15,000円きっかり払うことになった。なお、まよはこの前日にクレジットカードをなくしているので、現金で払っている。インドに行く前に、インドで使う予定の金を使う羽目になった。なお、またまた無知なので再発行したクレジットカードは、まよがインドに行っている間に書留で送られてきて、そのまま保管期間を過ぎ、カード会社に送り返されている。今更ながらカード会社には申し訳ないと思っている。
最後の最後に空港内部にあるセブンイレブンでおにぎりを食べて日本射出。当時のeチケットを見ると14:10発で、デリーに着いたのが21:20で、着いた頃には外は真っ暗だった。日記を見ると「飛行機はインド人ばっかりだし、…、リクライニングは動かないし、見れる映画はズートピアしかないし、さっそくインドの洗礼を受けた」と書いてあるが、よく読めばたくさんいるインド人以外、インドの洗礼は受けていないことが分かる。
この後空港で6人仲良く人気のないベンチで寝た。後から2人遅れてやってきて、これで8人全員が寝ている間にそろった。
2016/8/5(2日目) ガンディー国際空港→Amritsar
空港で国際線から国内線のエリアに移って、また自転車を預ける。我々はまた追加料金を取られるのではないかとそわそわしていたが、手荷物預けはあっけなく終わった。インド人の管理が適当なのか、ここではオーバースペックではなかったのかは定かではない。日記には「空港のマクドでスパイシーチキンを食べた」「機内食もパンの欠片になった」とアムリトサルまでの旅路のことを書いてあった。アムリトサルには2時間ほどで到着。
アムリトサル空港はよくある地方空港で、規模としてはかなり小さい。預けた自転車を回収して、いつでも出発できるようになったのだが、外が明らかに暑そうなのと、今夜泊まるゲストハウスまでの交通手段が定まらず、なかなか皆外に出ようとはしなかった。現地のおじさんが言うには、Golden Templeまで無料のバスが出ているとのことなので、この小さいバスに8人分の荷物を最密充填模型のように積んで、寺院まで行くことにした。バスの中は暑く、窓を開けても熱風しか入ってこなかった。
実際はこのバスでGolden Templeの前まで行くことはなく、全く分からんところで降ろされた。ここからGolden Templeまで原付の化け物みたいなタクシー(正式名称が分からない)で移動した。まよはこれが初めての発展途上国だったので、タクシーが狭くて人であふれた道を、頭文字Dバリにスピードを緩めず走っていき、本当に初めてインドの洗礼を受けることになった。
Golden Templeの前で降ろされた。正式名称では「Sri Harmandir Sahib」というらしい。Sri Harmandir Sahibはシク教の総本山で、周りにはターバンを巻き、豊かな髭を生やしたおじさまばかりであった。この寺院の周りには、巡礼のためにやってきた人々のために無料の宿泊施設がたくさんあり、我々も予約していたゲストハウスを後目に、ここに泊まることに決めた。外国人とあって特別?に個室に案内されたのだが、今写真を見返してみると座敷牢にしか見えない。
窓もない狭くてむさ苦しい個室に8人で寝ることになったのだが、ベットの上に寝れるのは6人が限界、とあって床に寝る2人をジャンで決めることにしたが、思った通りまよが負けた。試しに汚い床にマットを引いてみたところ、横に見えたベットの裏側が、人間世界の悲劇かと思うくらいに汚くて気が遠くなってしまい、まよは負けたKさんと一緒に、夜は外で寝ることに決めた。
次にやることは両替である。現地の銀行で日本円をルピーに両替した方がレートがいいので、この時はほとんどルピーを持っていなかった。班の半分は明日のバスの情報を聞きに、まよを含む残り4人は、全員分のお金(32万円)を持ってドキドキしながら雑踏の中を歩き、銀行に到着。この金額の日本円を両替してほしい、と言うと、奥から往年のエルビス・プレスリーのような男性がやってきて、銀行の2階にある暗い部屋に連れていかれた。そこで「お前ら、本当に全額両替したいのか?」と聞かれ、Yesというと、エルビスは万札を一枚ずつ数え確認した後、ルピー札を一枚一枚提示しながら、時間をかけて何ルピーにしたぞ、と両替してくれた。日記には「なんだか闇取引みたいで興奮した」と書いてある。
両替を済ませ再合流後、Golden Templeにみんなで参拝に行った。シク教の総本山で、髪の毛を隠す必要があるので、持ち合わせのタオルを頭に巻いて入った。中には amritsarovar(不死の池)という池があり、これがアムリトサルという地名の由来になっている。そしてamritsarovarの真ん中には黄金の聖堂があり、ここにシク教の聖典「グル・グラント・サーヒブ」があるとされる。実際聖堂までは、たくさんの参列者が列をなしており、中は坊さんが経典を詠唱をするライブ会場になっていた。実際にYoutubeでライブ配信してるし。聖堂は夜はライトアップされ、闇夜に輝く黄金宮殿は美しかった。あのWikipediaにも「本殿の黄金と大理石の白、池の水のコントラストは美しい」と主観的意見が書かれている。
夜になり宿に戻って就寝。まよとKさんだけはそのまま外でマットを引き、ほかの巡礼者に混ざって寝るのであった。
2016/8/6(3日目) Amritsar→Pathankot→Dalhousie
朝5時に起きると靴が盗まれていた。人の往来が激しい野外でそのまま靴をマットの近くに置いていただけなので、今思えば盗まれても当たり前なのだが、中学・高校時代の体育で履いていたズッグだったので、盗まれたことにショックだった。裸足でみんなの寝ている部屋に行くと、蒸し窯のような暑さの部屋の中、半裸の6人の男がベットを完全に被覆していて、そういう種の昆虫に見えて面白かった。みんなが起きだしたころ、自分の靴が盗まれたことを言うと、たまたま予備の靴を持ってきていたW君からまっ黄色の予備靴をもらうことができた。念のため近くの商店で靴が売っていないか探しにいったが、ビーチサンダルしかなかったので、仕方なくビーサンを買うことにした。なぜかこのビーチサンダルを気に入ったまよは、せっかくW君からもらった靴は滅多に履かず、このビーチサンダルで標高5300mまで行くことになる。
朝食はGolden Templeのフリーミールを食べた後、いよいよAmritsarを出発。昨日乗った原付の化け物みたいなタクシー(正式名称不明)で重たいチャリを載せながらバスターミナルに向かった。なお、このバスターミナルに向かう途中で一回信号機を見たのだが、これがインドで信号機を見た最初で最後の機会だった。
バスターミナルで今日乗るバスを見つけた後、自転車はバスの上の荷台にすべて置くことになった。どこからともなく現れたじいさんが俺が上まで運んでやるよとこっちはお願いしてないのに勝手に自転車を頭に載せて運び出した。この後しっかり金をとられた。
そのままバスは3時間走ってPathankotという街に着いた。Amritsarと比べるとだいぶ田舎になって、標高が上がったため、うだるような暑さはいつの間にかなくなっていた。次に乗るバスまで2時間半暇だったので、バスターミナルで昼食を食べることにした。我々が人数分のカレーを注文すると、無限にチャパティが出てきて、優しいレストランだなあ、とか思っていたら、伝票を見るとしっかり食べた分だけ請求されていた。危ない、危ない。ぶんぷく茶釜システムでインドの片田舎で破産するところだった。
昼食も食べ終わって次の乗るバスに迷っていると、周りのインド人が集まって親切に教えてくれました。この後もたくさんインド人と会うことになるが、基本的に田舎にいるインド人は優しい。特に我々が日本人だとわかると親切に接してくれて、田舎に行けばいくほど、金をせがんで来ることはほとんどなくなった。このバスで特に親切にしてくれたお兄さんがいて、その人も我々と同じDalhousieに行くのでダルフージお兄さんと呼んでいた。ダルフージお兄さんは、日本の技術力はすごい、と日本のことをヨイショしてくれたり、困ったことがあったらこれを使えと電場番号を教えてくれた。何度も言うが、田舎にいるインド人はみんな優しい。
バスに乗っていること30分、無事に目的地に向かうバスに乗れたと安心していると、バスの後方でドスンという音がしたと思ったら、乗っていたバスがカマ掘られてしまった。バスの乗客も何人か出て行って様子を見に行っている。まじか、今日Dalhousieに行けないんじゃないかと内心ドキドキしていたら、ものの10分ぐらいでバスは何事もなかったかのように走り始めたのだった。
本当に何事もなかったかのようにバスは目的地のDalhousieに到着した。着いた頃には夕刻であった。バスから降りると、件のダルフージお兄さんが「うちのコテージに泊まりなよ、無料でいいよ。」と言ってくれて、実際に見にいったらきれいなコテージだったのだが、彼のお兄さんらしき人が「さすがにタダはあかんでしょ」と言ったらしく、けっこう値を張ってきたので、断ることにした。断りを言ったときも「NO PROBLEM」と言ってくれた。もう7年も前になるが、今ダルフージお兄さんは何をしているのだろうか。その後安宿を見つけ、今日はそこで泊まるのであった。
2016/8/7(4日目) Dalhousie→Gangla
今までずっと重りでしかなかった自転車も、いよいよ輪行解除をして走り始める時が来た。と、思ったのだが、この日の朝は大雨。この小さな村は舗装なんかされていないので、雨が降ると大きな茶色の水たまりができて、それを避けて歩くだけでも一苦労である。大体どの町でも朝市のような焦点はあるのだが、大雨の中だとそんな店も閉まってしまうようだ。一軒だけ開いているレストランがあったので、みんなで窓の外の篠つく雨を眺めながらバターチャパティを食べるのであった。
レストランを出ると、雨は少しずつ弱まっている様子。どうやらこの後雨は止むらしいので、ついに輪行解除を始める。まよの自転車のクイックが曲がっている(実はインドに来る前から)等トラブルはあったものの、正午には全員輪行解除を済ませて、雨も完全にあがっていたので、ついに射出。
Dalhousieからダウンして(今調べると1200mもダウンしたらしい)、チャメラダムという大きなダムが見えてきた。みんなでダムカードあるかなあとか言いながらダム湖畔まで行き、この後はこの湖の横を走る。途中大きな滝があって道路まで水しぶきが飛んできたりした。最初は雲が厚くどんよりとした天気であったが、徐々に雲ははれていって、朝の大雨が嘘のようであった。午後は完全に天気は回復して、上着のゴアを着ていると暑いので、いつの間にか半そで半パンになっていた。
チャメラ湖をやや行くと再び標高が上がってアップが始まる。さっきまでは湖畔を走っていたのだが、いつの間にか森の中にいた。森の中でも、牛のうんこだらけの道(通称うんこロード)に出くわしたり、朝の大雨の影響か、道が川のようになっている個所もあった。まよにとっては何もかも初めての体験なので、ことあるごとにすげ~と言いながら、写真を撮りまくっていた。一時期、スマホのカメラロールが牛のうんこだらけだったこともあるのだ。
ダム湖を走っているときはみんなで一緒だったのだが、アップをしているとどうしても班員同士がバラバラになる。なのでまよが一人でえっちらおっちら自転車をこいでいたころ、Sが犬に追いかけられて嚙まれそうになったり、W君が村の真ん中でパンクをしてしまったら、いきなりノリノリのケニア人が近づいてきて(ホントか?)、パンク修理を手伝おうとしてくるけど、全く修理の方法が分からず、結局一人で全部直したらしい。再三になるが、田舎にいるインド人は優しい、というかこんなところまで外国人が来ること自体が相当珍しいのか、我々が挨拶をするとみんな笑顔で返してくれるのであった。他にも、そろそろ夕刻で、今日の宿を見つけようかとしたころ、まよが分岐のある村に到着すると、インド人が近づいてきて、「みんな右の道を行ったが、一人だけ左の道を行った。」と教えてくれた。なんとかインド人のおかげで道を間違えた班員を呼び戻すことができたのである。
いよいよ日も暮れ始めて、ちょうど我々がたどり着いたSuranganiという大きな村で今日の宿を探すことにした。この村には一つゲストハウスがあり、そこに泊まらせてくれるように言ったのだが、時間も遅いので全然取り合ってくれなかった。とりあえず少し道を戻ってマンジールという村、村というか道路沿いに数軒民家があるような場所なのだが、ここでどうしようかとみんなで話し合うことにした。
そんな悩んでいる我々を見て察してくれたのか、マンジールのインド人たちが「今日は俺の家の部屋をかしてあげる」と言ってくれた。お言葉に甘えて泊まらせてもらうことにした。声をかけてくれた青年はこの村唯一の商店の人で、我々に夕食まで出してくれた。「すぐ夕食を出すから待っててくれ」と言われ2時間待ったが、夕食をくれたことが何よりもうれしかった。そして我々が待っている間も、周りのインド人がものすごく絡んできて、電話番号を教えてくれ、Facebook教えてくれと一躍時の人のようになってしまった。マンジールは道沿いにある小さな村なので、バイクツーリングや旅行でもすぐ通り過ぎてしまうような村なので、みんな優しくしてくれたのかもしれない。
用意してもらった部屋にはマットが敷かれた簡素な部屋だったが、我々にはそれだけで十分だった。この日は長かった。
なおまよの日記を見てみると、この泊まった村は「マンジール」と書いてある。当時から「なんか卑猥な響きよね」と言い合っていたが、Google Mapにはそんな名前の村はなくて、画像の位置情報からGanglaという街だと考えられる。
2016/8/8(5日目) Gangla→Tissa
この日は朝から快晴だった。泊まらせてくれたお兄さんが朝食を用意してくれた。朝食はカレーとチャパティである。食べ物についてはインド来てからほぼカレーとチャパティしか食べてない。意外と慣れてくるとこの2つだけでも物足りないと感じることはなかった。午前9時ごろ、お兄さんにお礼を言って村を出発。
よく晴れた日だったので、この日はアップなこともあり、自転車で走っているときはとても暑かったようだ。インドだともちろん水道水は飲めなくて、飲料は村々の売店に売っているジュースを飲むしかない。大体どの村にもコーラ、ペプシ、あとはマンゴージュースしかない。なんとかこの3つをローテーションさせて、1か月近く自分の舌を飽きさせないようにするのが大変だった。
道は渓谷沿いにどんどん上って行って、山の中を走っていく。ここら辺では道沿いに数軒民家、一軒だけ売店兼レストランがあるような村が多い。途中、昼食を食べるために小さな村の唯一のレストランに入ったのだが、ここらではメニューなんてものはなくて、席に座ると勝手に店員が準備を始めて、勝手にダルカレー(豆カレー)とチャパティーを出してくる。昼食を食べ終わったあとは、大量の砂糖が入ってとびきり甘いチャイを飲むのが我々の日課になっていた。
こんな田舎でも車の交通量はある。普通の自動車は少ないが、長距離バスとトラックが多い。どちらも一歩間違ったら谷に真っ逆さまな道を、減速もせずに突っ走っていく。当時の日記には「実際ここら辺に住んでいるインド人は運転がうまい人ばかりだが、よくよく考えたら運転がうまくない人は死ぬような道なので、みんなうまいのは当たり前」と書いてある。あと、インドのトラックは排気口がなぜか車輛の横についていて、我々に向かってEUのエミッション規制も腰を抜かすほどの大量の排気ガスを吹きかけてきて、いつの間にか身体中が煤だらけになっていた。
日が西に傾くころ、Tissaという大きな街に到着。渓谷沿いの村の中では一番大きかったと思う。街からやや外れたところにあるキレイなホテル「RK Hotel & Restaurant Tissa」にこの日は宿泊。やっとちゃんとした宿に泊まることができた。この宿の夕食を食べた後、このインドツアーで初めての洗濯。荷紐を部屋のいたるところに結び、洗濯物を部屋に干して、世界一汚いのれんの完成。2日ぶりにシャワーを浴びることもできた。
昼間はあれだけ暑かったのに、夜はかなり涼しかった。かなり標高が上がってきたためだが、Amritsarの灼熱が恋しくなった。みんなで外で何気ない話をしていると、遠くで雷が鳴るのが聞こえた。その後、雷の影響かTissaの街全体が停電したが、すぐに直った。やがて大粒の雨が降り始めて、我々は部屋に戻ってそのまま寝るのであった。
2016年夏合宿ラダック班②につづく
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