まよが社会人になってようやく落ち着き始めた頃であった。今の職場に配属されて1年以上がたち、1年もいれば、仕事の成果はなくとも、大体の職場の雰囲気はわかってくる。残業も少なく、好きなようにとっていい素晴らしい職場だ。こんな職場だったら、4連休を利用して、4日連続の年休をとっても文句は言われないだろう、ということで2023年の2月ごろに、ほとんど衝動買いのように北海道は稚内行きの航空券を買ってしまった。買った直後は、ああ、夏に北海道に行くのか、と漠然と考えていたわけだが、冬も終わり、桜はあっという間に散って、梅雨のジメジメが当たり前の季節がやってきた。徐々に夏が近づいてくると、その計画も輪郭を帯びてくる、はずなのだが、いかんせんソロなので、一週間ぐらい前までまよは稚内と利尻島を結ぶフェリーのことすら調べていなかった。
一週間前にいきなり船乗りのOからラインが飛んできて、「まよが北海道いくなら俺も行く。利尻岳は俺行ったことあるから、幌尻岳にに行こう。」という旨だった。なんで半年近く前から予約していた航空券を変えて大幅に工程変更しないといかんのや、と思い、やんわりと断った。かくして、まよの北海道ツアーは大した計画はありもしないのに、他者の意見を跳ね返すほどには意地のある不思議な輪郭を帯び、出発当日を迎えることになったのである。
2023/07/14(1日目)
朝は7:30ぐらいに起きた。自転車を部屋から出してパッキングをした。輪行前にペダルを外し準急と普通列車しか停まらない最寄り駅発の電車に乗った。この街に住んでもう1年以上にもなっていたが、一人でいてさえも寂しい街だと思っていた。そんなことをぼんやり思っていると、いつの間にか大阪空港に着いていた。ここで昼食を食べようと思ったが、まよ好みの料理がなかったので(あと普通に高い)、保安検査を早めに通ってゲートの前で待った。なぜか一つ前の便が遅れて、まよの便が出発時間になってもまだ飛ばないでいると勘違いしていたので、新千歳行きの飛行機に乗り遅れるところだった。飛行機はほぼ満席だった。
飛行機の小さい窓から見える大阪の街が、どんどん小さくなっていった。離陸直後、尿意を感じたが、窓側の席だったので我慢しようかと思って耐えていた。やがて着陸態勢に入り、ベルト着用サインが点灯した瞬間に尿意の波が押し寄せ、心臓がバクバクなった。なんでこんな頻繁にトイレ危機が起こるんだと自分でも不安になった(トイレ危機とはこういった状況を指すまよの造語である)。北海道の陸が見えて、飛行機の影がはっきりと見えるようになると尿意の波もおさまった。意外と尿意って精神論でなんとかなるのよ。飛行機が着陸しゲートが開かんとする時も、早くトイレに行けないかと心臓がバクハグし始めたが、問題なく人ははけてトイレに行くことができた。
新千歳空港から稚内まで乗り継ぎだが、1時間ぐらい待ち時間があるので、一度外に出た。新千歳空港はたくさんの人だった。レストランにはたくさんの列ができていて、外に出たものの逆に1時間では間に合わなそうだったので、回転率が早そうなラーメン屋で味噌ラーメンを食べた。ラーメン屋でもちゃんと保安検査の締切時間に間に合うかドキドキしてしまった。
再び保安検査を過ぎて、稚内空港行き飛行機を待った。乗った後に飛行機の点検に時間がかかって、16:05にやっと動き始めた。稚内行きはプロペラ機で、半分ぐらいは空席だった。眼下には北海道の色とりどりの畑が果てしなく広がっている。しばらく行くと海が見えて、その奥に大きな利尻富士が見えた。この時見えた利尻富士が一番きれいに見えた。
稚内空港には30分遅れで着いた。外に出た感想は「寒い」だった。日本ってのは暑いか寒いかのどっちしかないんか。それまで半そで短パンのガキ大将スタイルだったのだが、すぐさま上下ゴアを着た。空港の管理人が今日はどちらまで?と声をかけてきたので、特に決めてないんですよね。というと、返す刀で防波堤ドームを勧められた。地元民もここをプッシュしてんのか。まよが外に出ると、おじさんは空港玄関の鍵をかけた。17:15に閉まるらしいので、とっとと追い出したかったのかもしれない。
空港から宗谷岬に向かう。30分遅れたせいで日没に間に合うか微妙である。周りには何もない、向かい風が強くてなかなかスピードがでない。宗谷岬まであと10kmのところでセコマを見つけてセーブポイントだ!と叫んで喜んだ。ただ、このセコマがチャリに厳しいらしく、Googleレビューが酷かったので、寄ることは無かった。
どんどん灰色の雲が広がる中、18:33に宗谷岬に着いた。最果ての地にふさわしい曇天具合であった。今まで全く人の気配はなかったのに、宗谷岬には数人の観光客がいた。ちょうど上海からアニメの聖地巡礼のために訪れていた中国人カップル2人に記念写真を撮ってもらった。「もしかして日本一周とかされているんですか?」と聞かれたが、残念ながら最寄りの空港から30km漕いできただけである。日本縦断とかしてるんなら、感慨深いんだろうが、いかんせんさっき走り始めたばかりなので、そこまで感動はしなかった。ぜひ日本旅行楽しんでくださいと言って別れた。
自転車に乗っていると気づかなかったが、止まると寒い。写真をとりあえず撮って、日も暮れそうなのでUターンして帰った。向かうは稚内市内である。
走ってみると時間がかかる。地図で見ると近く感じるが、実際走ると想像の倍以上な気がする。空港分岐まできてようやく戻って来れた。周りが暗いなか市街地が見えてきた。20時、今日の夕食はビクトリアのハンバーグだった。味はビックボーイだけど、店は北海道限定だからOKだよね?お店は混んでいないものの、店員の数が少ないからか、案内されるまで時間がかかった。サラダバー、カレーバーのセットを注文したが、勝手に行っていいのか不安だった。
道の駅わっかないのトイレに行くと、歯を磨いているおじさんが4,5人出てきて何も不思議に思わなかったので、ここはそういう場所なんだな、と思った。今日のテンバは防波堤ドームである。先客は1人しかいなかった。ドームの真横には稚内なら1番豪華だろうホテルがある。ホテルに泊まる客人たちは防波堤ドームに泊まる汚いライダーを見下ろしてふかふかのベットに眠るのだろうな。22時過ぎに就寝。
2023/07/15(2日目)
朝遠くからボールの音が聞こえる。誰かがテニスでもしてるのかとも思ったら、地元のおじさんたちがキャッチボールをしていた。空を見ると雲が広がっている。天気予報を見ると、昨日の予報と打って変わって、かなり悪くなっていた。利尻島も夕方ごろから明日朝まで雨が降るそうで、仕方なく今日は利尻島に渡らず稚内停滞。
フェリーターミナル目の前のセコマで鶏天丼を食べて、今日はどうしようかと悩む。案の定、外にいると寒い。とりあえず身体を動かしたくなって、ノシャップ岬に向かった。岬は強風である。半島の西側を漕いでも横殴りの風が一瞬も止むことなく、遠く地平線に続く道だけが見えた。すぐ横には壮大な利尻富士が見えるはずが、面影すら見えなかった。
坂の下で雑木林の中にある神社に寄った。終戦後、軍旗を燃やしたという記念碑があった。70年という悠久の時を経て、この碑は全く無関係であった私を過去と、その悲痛な運命を結びつけていた。鄙びた神社は強風を凌ぐにはちょうどいい建屋だった。
峠を登って稚内市街に戻ってきた。1時間で帰ってきてしまった。ふらっと自転車をこぎに行くのには隣町は遠すぎるし、市街をぶらぶらするにはあまりにも小さい町である。どうしようか、と稚内駅にある日本最北端の映画館で「君たちはどう生きるか」を見た。のちにアカデミー賞を取る映画だが、この日が公開初日で、全くネタバレどころか、ストーリーラインも知らずに見ることになった。案の定、一回劇場で見ただけでは全容を把握するのは難しかったが、輪郭はわかったような気がする。当時の日記を見ると「クソデカ感情オリンピック決勝みたいな映画だった」とか訳の分からないことが書いてあった。映画の感想が適当すぎる。まだまよには早すぎる映画だった。
駅前の食堂で煮魚定食を食べた後、空港近くまでの大沼にいった。ただの湖のような沼である。ほとんど人はいなかった。長い遊歩道があるという看板があったので、その看板が指す方向に10分ほど歩いていったら、いきなり遊歩道が途切れてしまった。おかしいな、ここから先たくさん歩道が別れて、最終的には展望台までいけるはずなのに。展望台はそこから見える小高い丘のてっぺんに少しだけ見えている。あそこは完全に夢の地になってしまったな。
いい時間潰しになった。稚内市街に戻ってきた。もう何度通ったかわからない道を走って、温泉に入ろうとしたら、海の駅でフリーコンセントを見つけて、こぞって充電を始めた。ここで時間を溶かして16時半になっていた。
温泉に入った。ここで君たちはどう生きるか、を自分なりに考察しながら長風呂に浸かっていた。休憩所で休んでも18時になったぐらいなので、風呂併設のレストランに行った。ここにも海の駅と同様のフリーコンセントがあったため、充電ちゅーちゅーし放題だった。夕食はザンギ定食を食べた。横に座った青年が、多分海の駅でも横でスイッチをやっていた男性で、俺はずっとこいつといるのか、と心の中で思った。彼は銀河英雄伝説の漫画を読んでいた。マヨもザンギ定食を食べた後、チェーンソーマンを読んだ。最近温泉に漫画が併設されているところが多くて嬉しい。窓側の席に座ったので、海と目の前の道路が見える。道路は雨に濡れて、風呂に入っている間に小雨が降ったようだ。
昨日と同じように防波堤ドームで寝た。真ん中にイベント用の特設ステージみたいなのが作られていて、それには近づかないように、防波堤ドームのかなり手前で寝た。寝ようと思ってスマホをいじっていると、同業者のチャリが一台来た。このチャリも温泉で見たチャリだった。同業者は決して挨拶をすることはないが、同じ場所を行き来するので顔をお互い覚えてしまうのである。18きっぷで移動しているときにある現象である。21時ぐらいには目を瞑ったが、2時間ぐらい眠れなかったと思う。
2023/07/16(3日目)
5:15に起きた。防波堤ドームから見える僅かな空に目を寄せると、、、昨日と変わらぬ曇天だった。結局、こんな天気だったか。登山用天気予報サイトの「てんくら」を見ると利尻富士は登山指数Aになっているが。昨日寝る際にやってきた同業者は、まよがシュラフから出ようとした時に自転車に乗ってどっかに行ってしまった。
昨日のうちから心に決めていたことなので、今日は意地でも利尻島に行く。セコマ稚内中央店で茶色い弁当を買った。茶色い弁当とは、唐揚げとか焼きそばとか、茶色い総菜しかはいっていない弁当のことである。昨日は軒先で食べたが、今日は小雨がちらついていたので、稚内駅の休憩スペースで食べた。フェリーターミナルに行って、乗船券を買った。自転車は輪行状態にすれば無料だった。他にもチャリ乗りはいたが、いのいちばんに輪行袋に詰めていたのはまよだけだった。
フェリーターミナルの待合室で、イケメンなおじさんに自転車について聞かれた。今日の予定、明日以降の予定はどうするのか?と聞かれたが、本当に詳しく決めていないので、言葉に詰まりながらたどたどしく答えた。ここまで来ている人ならみんな利尻島、礼文島どちらも行くのが普通だが、まよは今回は礼文島に行くつもりはなかった。お菓子はすこし残しておいた方が、また来るきっかけになるから。
フェリーは7:15定刻に出航した。1番最後に乗船すると、雑魚寝の二等客室は人で溢れていて、最後のひとスペースみたいなところに座った。フェリーの窓から、朝は開けたというのに薄暗い稚内市内とノシャップ岬が遠くなるのが見えた。
1時間以上経ち、そろそろ利尻島が見えるかと思ったが、島はフェリーの真正面に見えるので、二等客室からは近づくまで全く見えない。そして着岸直前になって、ようやく島が見えたが、利尻富士は裾野しか見えなかった。いよいよ上陸。9:10には輪行解除することができ、一目散に登山口に向かった。登山口には9:30についた。
9:40、登山届を出して出発。1人登山は久しぶりな気がする。空は白い雲が広がっている。「てんくら」のAが信じられない。なんで、「てんくら」なんて信じて、目の前の山のことをを見ようとしなかったのか。木を見て森を見ずとはまさしくこのことだった。
まず最初に乙女橋という綺麗な橋を渡った。途中登山中のおじさん2人組に会って(実際は3人組で、ずっとまよを同じパーティだと思っていたらしい。)、どかなかったのでずっとその背中を追ったが、途中から2人の会話が楽しくて聞き耳を立ててしまった。車が鹿とぶつかって廃車になったが、100万ぐらいの補償金が出て新しい車を買った話、最寄りのコンビニまで車で15分かかるなどなど。10分ぐらいして気づかれて、普通に追い越した。ずっとこのまま知らないおじさんと登山するのでもよかったのに。
10:56、7合目の胸突き八丁。8合目と9合目の間にある避難小屋で休んでいたら、今までは霧が深いだけだったのが、徐々に雨も降り始めてしまった。でもここまで来たら後はてっぺんまで行くしかない。山を登るのに、天気がいいことは、サラダのドレッシングぐらいの価値ぐらいに思っておいた方がいい。あった方がいいが、別にそれが無くて死ぬことはない。俺はいい風景のために急峻を上るのではなく、ただひたすらに自己研鑽のために上っているのだと、耐えなければ脚は前に進まない。やがて深い霧の向こうに山頂が見えた。
12:55に山頂到着。これから帰ろうとするお兄さんに写真を撮ってもらったが、お兄さんが去った後、祠の正面では無いことが発覚し、1人で自撮りした。雨が降り出して体がびしょぬれになって寒かったが、山頂で写真を撮る時間はたっぷり撮ったのだった。
あとは帰るだけ。徐々に高度を下げていきながら、いろんなパーティを抜かす。9合目であのおしゃべり大好きおじさん二人組とすれ違って「早いね」と言われた。降っている時は全く違うことを考えているので、時間が過ぎるのが早い。避難小屋にも目もくれず降っていく。雨が一通り降り切ったらしいが、そのせいで地面はぬかるんでいて、靴はすでに水浸しになっている。岩場は水で滑りやすくなっているので、細心の注意を払って降った。
いつのまにか樹林帯に入っていた。あとは本当に下るだけ。5合目、4合目とどんどん下がっていき、この山行が終了に近づいていることがわかった。最後に、行きの1番最初に渡った乙女橋を渡った。これが本当に最後。15:50に登山口に到着した。行動時間は6時間10分だった。今から急げば終電の稚内行きフェリーに間に合うのだが、そうとは言っても身体全体がびしょ濡れになっていたので、そのまま近くの温泉に行くことにした。靴は泥を全部水で洗い流して、ゴアの泥も落とす。ゴアがないと短パンで寒いので、パッキングを崩して長ズボンを取り出した。
ダウンして温泉に向かうが、小雨のような、霧のような雨が降っている。自転車に乗らないと気づかなかったが、雨は降っていて、メガネが水滴で曇ってくる。温泉に入り、休憩所でゆっくりした。周りのザックを持った人たちは同業者と見え、しばらくするとおしゃべり大好きおじさんも同じ温泉にやってきた。20:30まで和室の休憩所で日記を書いたり、吉川英治版三国志を読んだりしていると勝手に時間が潰れた。これは会った人全員が言うが、ソロツアーをすると夜が暇すぎて、日記に大量の文字を書くほかやることがないという。かくゆうまよもその内の一人である。温泉は21時までなので、こそから市街地のセコマでお弁当を食べた。イートインとコンセントもあってたんまり充電した。フェリーターミナルに行き、今日の寝床を探す。夜になると風が一気に強くなった。島の夏の暴風雨なせいか、すこし生臭い。「南総里見八犬伝」に「病んだ龍が降らす雨は生臭い」とあったのを思い出した。
フェリーターミナルの暗がりに業者がいると思ったが、ただカップラーメンを食べているだけだった。海側は強風と雨でとても寝れたものではないので、玄関口の奥まって風と雨が凌げる場所で寝た。
2023年海の日連休北海道ツアー②につづく
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