2023年海の日連休北海道ツアー②

前回の記事はこちら。

2023/07/17(4日目)

何度か夜目覚めてしまった。蚊がうるさくて、そんな問題もあったな、と悔やんだ。夏といえば蚊に悩まされる季節だが、防波堤ドームには全くいなかったので、気づくのが遅かった。逆にこんな島のフェリーターミナルにも蚊はいるんだな。フェリーターミナルなので、職員が来るまでのチキンレースみたいに寝ていたが、5時40分ぐらいまで寝れた。昨日雨登山で濡れた靴は、まだ全然乾いていなかった。じゃあ今裸足なのかと思うかもしれないが、ちゃんとサンダルを持ってきているのだ。ただサンダルだとやや寒く感じる気温である。

外は霧みたいなもやがかかったような天気である。雨といってもいいかもしれない。立ち止まっていると雨は感じないため、出発の準備を始めた。パッキングをしていると、ご年配の方々がターミナルに来始めて、日本の夜明けは早すぎだろと思った。なんだこれ!まだドアあかねぇよ!と叫んでいたが、当たり前だろ、と内心思った。こちとら徹夜組だぞ。

これはなんて名前の天気?

最寄りのセコマに向かう。朝は冷え込んで、濃霧が広がり寒い。昨日と同じイートインスペースで朝ごはんの焼きそばとホットシェフの豚カツ弁当を食べた。胃にずっしりと来る感じが久しぶりだった。

利尻島一周が始まる。せっかく自転車を持ってこんな島にやってきたのだから、島一周ぐらいはしなくちゃ。ただ、鴛泊の市街地を離れると、小雨が降り出した。霧とか、もやとかそんなやわいものじゃなくて、しっかりとした雨粒である。結局こんな天気かぁと、たまたま見つけた小さな東屋のある駐車場で止まってしまった。向かう先は霧のような小雨でかすみ、メガネについた水滴のせいで前方は見えづらい。時折通りかかる車が、水のしぶきをあげる。晩に乾かしたゴアもすぐに雨で濡れてしまった。こんなんだったら、朝一のフェリーで稚内に帰るんだったと後悔した。ただ、もう鴛泊に戻っている時間はない。いや、頑張って漕げばつくかもしれないが、その気力もない。別に急いでツアーをしているわけでもない。東屋にいても霧のような小雨は吹き込んでくるので、トイレまで移動し、このトイレでずっと休んでいようか、とまで思った。

しかしやや雨が弱まったのを狙い、沓形に向かった。8:30沓形についた。島の西側は雨は降っておらず、それどころか所々雲が切れ始めて、太陽の輪郭がうっすらと見えた。まよの心の中の暗雲も一気に晴れたようだった。

沓形港緑地公園にて。たまたま大きなフェリーが停まっていた。

こんなに晴れた世界を走るのが楽しいとは思わなかった。9:00神居海岸に着くと、完全に晴れて一気に気温が上がり、上下ゴアを脱ぐほどだった。ワクワクしながら自転車を漕ぐのはいつ以来ぶりだろう。全く新しい気持ちに出会えた瞬間のような、初めて自転車でツアーしたかのような快さだった。

今日のフェリーは鴛泊に17時過ぎの便である。つまり、時間的余裕はあるということだ。寄れるところがあれば全部寄っていく気概でいた。こんなにじっくり利尻島を巡ることができたのも、また天気の巡り合わせだった。

島の一番南側にある利尻町立博物館で利尻島の歴史を学んだ。おじさまおばさまを乗せた観光バスもひっきりなしに次々ときて、田舎の博物館には不釣あいな人混みになったので、早めに撤退した。

せっかくなので、ここで利尻島の地質や歴史について調べてみたい。利尻山は見た通り、日本海に佇む火山である。しかし博物館の展示や気象庁のHPによれば、有史以降の利尻山の火山活動の記録はない。利尻山の最後の火山活動は8,000年前とされるが、気象庁の活火山の定義「概ね過去1万年以内に噴火した火山及び現在活発な噴気活動のある火山」から、利尻山も日本に存在する111峰の活火山の1つに数えられる。博物館の展示によれば、利尻火山の活動は10万年前に始まり、旧石器時代にあたる4万年前にブルカノ式の大噴火を経て、1万年前付近で活動を終了したとされる。

利尻火山の特異な点はその位置にある。火山とは大陸プレートに沈み込む海洋プレートが含む水分が、融点効果によりマントルの岩石を溶かし、マグマになることで生まれる。よって火山は沈み込む海洋プレートに平行になるように存在する。実際、北海道の活火山、例えば十勝岳や有珠山、北海道駒ヶ岳はいずれも太平洋プレートから100kmの位置にある。しかし、利尻山だけは太平洋プレートの沈み込み箇所からはるか300km離れた場所になるのである。そのため利尻山は「孤高の火山」とされる。

北海道の活火山と利尻山の位置(利尻町立博物館の展示より)

この問題は2016年に栗谷、中川らが指摘している。栗谷らは千島弧・東北本州弧の会合部(北海道南西部)に高温領域が存在し、太平洋プレートの脱水がなされおり、湾曲したプレートの亀裂を通ってマントルからマグマが流動し、利尻山に吹き出ていると指摘している。この論文はオープンアクセスによって誰でも閲覧できるようになっている。

利尻山は百名山に数えられる名峰であるが、アクセスの悪さからなかなか手の出しづらい山ではある。ただ近くに空港は2つあって、ひとつはまよが乗ってきた稚内空港、そして利尻島にも利尻空港が存在する。礼文島にも空港自体はあるのだが、定期便は運航していない。利尻空港は札幌からの便が一日一往復あるだけだが、稚内空港は東京都の直行便があり、稚内から利尻はフェリーに乗ればすぐつけるので、飛行機に搭乗すれば、すぐに山のふもとまでたどり着けるという稀有な山である。もっとも、なかなか晴れた利尻山に登るのは運も必要で、博物館の展示曰く、利尻島は9~10月が最も晴れるため、もし次狙うならこの季節にするかもしれない。

 

博物館を後にして、大きな青空のもと自転車をこぐ。海沿いの家々は潮風によって赤く錆びて、本当にこんなところに人が住んでいるのかと思う。ツアーのいいところは、絶対に自分の人生に関係ない他人の人生の横を通り過ぎることができることである。街ですれ違うのとは違う、その人の人生の在り様をまじまじと見れるのである。こういう場所をツアーしていると、宮本常一の「忘れられた日本人」を思い出す。

利尻島の南端部にある仙法志で海を眺め、遠く北海道本土を望む。オタトマリ沼でも観光バスに乗ったおじさまおばさまの集団と鉢合わせしたので、ここで観光はすぐ終えた。土産屋にはおじさまおばさまが長蛇の列をなしていたので、すぐ近くの鬼脇の小さな飲食店でカツカレー1200円を食べた。カツがカレーの添え物になっていない、真のカツカレーに出会えたことに感謝。カレーには牛肉も入っていて、文字通り一口で2度美味しい。まよの後に数人店に入って、「もうそろそろチャーシューがねぇから店じまいだな」と言っていた。

あとすこしでも到着が遅れていたらカツカレーが食べれないところだった。危ない危ない。

鬼脇を過ぎると目立った観光地は無くなって、いつのまにかペシ岬が遠くに見えた。ペシ岬は鴛泊にあるかなり目立つ岬、つまりまよは利尻島を一周して、朝起きた場所に戻ってきたのだ。左の海を見ると遠くに北海道本土が見えるが、大方曇っていて、ここらはずっとこんな天気なんだろうなと思った。もう利尻島ともお別れか、とふと思った。島の東側は朝と同じように、いつ雨が降ってもおかしくないような曇天だった。沓形のあの青空が恋しくなった。

フェリーターミナルには向かわず、ペシ岬に登った。てっぺん目指して急斜面をサンダルで登り、市街が一望できる山頂に着いた。ただ山頂は小蝿が大量にいすぎて、数秒で撤退してしまった。

ペシ岬は鴛泊港の近くにあって、フェリーからもはっきりと見ることができる

一旦フェリーターミナルでトイレに行った後、利尻山の展望台として有名な夕陽ヶ丘展望台に行った。朝は山頂がガスっていたため寄らなかったのだ。利尻山が見えれば展望も一段と良かったんだろうな、と思ったが、ここでもペシ岬含めて鴛泊市街が全部見えた。まよが移動した距離も展望台から見ると、短い距離に見えた。帰り際にセコマによって、アイスクリームを食べた。稚内が寒かったので、今までそんな気も起こらなかったのだ。

今思うと稚内で映画を見た時が遠い昔のことに思えてくる。今、時間を余してまで飽きるほどに利尻島を堪能しているが、数日も経てば利尻島での日々が遠い過去のように思えてくるのだろう。そのためこの風景を目に焼き付けようと思った。

フェリーの時間まで2時間近くあるが、フェリーターミナルで待っていた。ぞくぞくとザックを持った人、キャリーケースを持った人が集まってきた。自転車も輪行状態にして、もうどこにも行けないようにした。顔を日焼けしたのか、ほてって顔が熱かった。待合室のテレビのニュースは連日本州の酷暑を報道しており(38℃とか記録しているらしい)、こっちが若干寒いのを思うと、遠い異国の話かと思うぐらいだった。併設された土産屋でバッジを買うか迷ったが、買わなかった。おそらくここで買わなくても、後でなんで買わなかったのかと後悔することは無いと思ったからである。

乗船が開始し、自分のスペースを確保した後、吉田拓郎の「落陽」を歌う送別イベントには目もくれず、甲板に出て遠くペシ岬を眺めていた。まよにはテープを拾ってくれる人もいなかったのである。利尻島にもう一度来るか来ないかは全くわからない。でも次来ることがあったとして、その時自分の自転車に乗ったり、フェリーに乗って島を離れるということはないんじゃないかと思う。今一瞬のこの時が尊く儚いものだと感じられる。この学生時代の延長をいつまでも続けられることもない。いつまでも1人で自転車や登山に身を委ねるわけにもいかないと心の中では思っている。だからこそ、この一瞬の感情がより尊いのだ。島が遠のいていく。まよが数時間前自転車で走った道路が遠く雨霞の中に消えていった。

ペシ岬は遠く離れていく

フェリーの中は寒かったので、ゴアを着た。数時間ぶりにゴアを着ると、このゴア本当に汚いし、生臭いなぁと思った。フェリーの窓は水滴と汚れで見えづらかったが、周りの海は低いガスに覆われていた。このフェリーの中で初めて自分の持ってきたモバイルバッテリーを使った。

フェリーは19:05定刻通りに稚内港に着いた。フェリーから降りる人波に流されて、ヨタヨタとチャリを持ちながら降りたが、輪行解除しきると周りには誰もいなくなっていた。そのまま近くにある温泉へ。土曜日に入ったのと同じ風呂だった。海の日の連休も最終日とあってか、前回よりも人は少なくなっていた。レストランで充電しながら夕食を食べたが、元々夕食は軽く済ませようと思っていたのに、気づいたら海老天定食を注文していた。1,000円だが、すごくボリュームが多くて、都会で食べたら2,000円はくだらないと思った。もうこの風呂も最後だと思いとなんだか少し寂しくなってしまった。

風呂の閉店時間ギリギリまで充電をして、テンバに向かった。これで3回目となる防波堤ドームでの就寝だった。一回寝ついたあと、ドーム内でまさかのラップバトルで目が覚めた。最初はうるさいなと思っていたけど、初めてラップバトルを生で聞いたのでシュラフの中で聞き入ってしまった。ラップバトルはいつの間にか終わっていて、まよもいつの間にか寝ていたのだった。

 

2023年海の日連休北海道ツアー③につづく


Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です