2024年2月冬岩手

2024/02/22 1日目

出発直前の昨日、熱を出して会社を休む羽目になった。なんとか薬を飲んで熱は引き、鉄の意志で岩手まで飛ぶことにしたが、昨日の夜から喉が痛い。いままで体感したことのないぐらいには痛い。1週間前の蘇民祭に共に行った友人も風邪気味らしいので、完全な蘇民祭クラスターである。
10時ごろ伊丹空港に到着。いつも伊丹からはANAを利用するのだが、今回はJALだった。ANAだとよく分からんレシート見たいな搭乗案内の紙をもらうが、搭乗用のQRコードはスマホでしか見れないので、紙媒体で印刷して欲しいと毎回思ってるんだが、JALはQRコードの載った紙のチケットを出してくれて良かった。昔気質の人間なので、航空券のチケットは、サイズ感のよく分からないデカい紙のチケットが好き。
11:15飛行機は離陸。「窓側の席に座りながら窓の外を眺めないやつはマジでむかつく。せめて離陸時はワクワクしてろ。といつも心の言っているのだが、今日はなんだか既に疲れてしまっていたので、離陸後そのまま寝てしまった。ただ、飲み物のサービスのタイミングでは意地でも起きていた。機内ではリンゴジュースを飲んだ。リンゴジュースなんてこの世で1番美味しいですからね。まよの横には貴婦人が乗っていて、サービスのリンゴジュースを二杯貰っていた。関係ないが、搭乗の待ち時間に、プレイリストに入っていた映画ロッキーの挿入歌を聴いて、ロッキーTHE FINALのエンディングを思い出してしまい、ゲート前で思い出し泣きをしてしまった。

12:35定刻にいわて花巻空港に着陸。花巻空港はこぢんまりして、荷物のピックアップは1レーンのみだった。飛行機が着陸した時に、岩手の気温は0℃です、とアナウンスしていて、いやはや0℃とはどんな気温なんですかな、とそわそわしながら空港の外に出たが、めちゃくちゃ寒いわけではない。今年は歴史的暖冬とあって、冬ツアーありがちの底寒さは皆目なかった。自転車を輪行解除して自走開始。

花巻市街に走る北上川。見ればわかるが、ロードバイクで来るような路面ではない。前日までは全く雪はなかった。

空港からすぐ近くにあるお食事とお酒まっさんという食堂に行った。大衆食堂的でもありながら、内装は綺麗で豚角煮定食はプリプリで美味しかった。14時に閉店なので、30分で食べ切った。
ここから宮沢賢治の「雨ニモマケズ」詩碑まで行く。国道を外れて、泥水のようになった道を走っていくと大きな石碑が見えた。ただ、肝心の石碑には文字が薄くなっていて全く何が書いてあるか分からなかった。後から知ったことだが、戦前からあるこの碑の下には、賢治の遺骨の一部が収められているらしい。

石碑の近くにあった展望所のほうが記憶に残った。よく晴れた日なら早池峰が良く見えるらしい。

その後、自転車で宮沢賢治記念館に行った。記念館までの道が斜度がきつくて、久しぶりに息を切らしながら登っていった。記念館には宮沢賢治の生涯や、賢治が生涯で興味を示したもの、そして賢治を育てたこの花巻との関係を詳しく載せていた。
イートハーブ館にも行った後、遠野方向に自転車を漕いで、15分くらいで道の駅とうわに到着。道の駅自体はかなり小さい。売店では麻丘めぐみの「わたしの彼は左きき」がラジオの有線で流れていて、昭和に戻ったかのようであった。最近の子はこういうのを”エモい”っていうんですか?
テレビのニュースでは昨日からの寒波で持ちきりだった。1週間前は全く雪がなかったものの、昨日の夜から寒波がやってきて、数センチは積もってきた。ニュースで仙台駅で遅延証明をもらう人の列が改札で出来ていることを報じていて、先週自分が駅スタンプを押しに行った改札が、今はこんなになっているんだなぁと感慨深かった。
この温泉に併設しているレストランで夕食を食べた。夕食は唐揚げ定食。しょっぱくて美味しかった。舌がバカだとしょっぱいだけで美味いと感じてしまう。この風呂のトイレで一悶着あったがWebで全世界に公開するような内容ではないので割愛。
道の駅に戻る前に、近くの薬局へ。あまりにも喉が痛すぎるので、喉薬を買う。ついでにおやつと明日の朝食も買った。そのまま道の駅の暗いところで就寝。今日の行程は22kmぐらい。

 

今ツアーの聖地①:まよが喉薬を買った薬局

 

2024/02/23 2日目

外は寒くて、一向にシュラフから出る気が起こらない。冬の朝は静かで、そして身も凍る寒さである。記録的暖冬とか嘘でしょ。気温は氷点下数℃ぐらいだが、寒いのは寒いのだ。ジジイになると寒いのに弱くなる。普段暖房がよく効いた会社でパワポエンジニアしているので。大学生のころは、暖房代をケチって太陽の光も届かない底冷えの下宿で、部屋の中なのに厚着して耐えていたので、あの時のほうが耐性が段違いだった。勇気を出してシュラフを片付けて、道の駅のトイレ前のスペースで準備。室内テンバのように見えるが、暖房がついていないので、別に暖かくはない。
7:30頃射出。やっぱり冬ツアーの射出は遅くなりがち。路面は濡れていないので、スリップの心配はなさそう。寒いには寒いのだが、漕ぎ始めてくると身体が暖まるので、起きた時ほど寒くは感じられないが、直接風を受ける顔は冷えがちである。バラクバラを持ってくればよかった。
10km弱走った道の駅みやもりにて休憩。道の駅スタンプをもらうためだが、一度止まってしまうと、寒くて走る気が起こらない。ただ、ここも休憩所には暖房は着いていないので、別に暖かくはない。尾崎豊の言う、100円玉で買える温もりも今は150円ぐらい払わないと買えなくなったので、そのまま射出。

 

宮守川橋梁。きれいな5連アーチの橋梁。遊歩道があるが、このときは雪で埋まっていた。

 

射出しないと何も始まらないので勇んで射出。峠を越えて国道283号線と合流。あとは平坦な道を遠野市街目指して走るだけ。交差点で昨年5月に走った時に寄ったコンビニが見えて感動。
ここから更に2キロ進むと道の駅があり、ここもかつてテンバったことのある道の駅で思い入れが深い。あの時は夜に立ち寄って、寝ただけで射出したのだが、日中にくると活気のある大きな道の駅であることが分かり、更に感慨深かった。遠野市街に到着。ちょうどひな祭りが遠野の街全体で開かれていて、500円払ってガイドツアーに参加。10:30から開始でみっちり1時間半かかるらしい。メンバーはガイドのおばあさまと、参加者のおばあさま3人組、そして全身ゴアのまよの5人であった。いろんな家の古くから伝わる雛人形を見せてもらった。ガイドのおばあさまは、このお宅は明治の三陸津波で被災して遠野にやってきた方で、とか、このお店は170年以上続く名家でして、などこの町に住まなければ決して分からないようなことまで教えてくれる。日経平均株価がバブル期を越えたこの日本で、このガイドさんの時給が1333円とか冗談でしょ。しかし、徐々に昔から住んでいる人々も減ってきて、雛人形を飾る家もめっきり少なくなったそうな。ガイドのおばあさまは少しがっかりそうであった。

 

the most biggest ひな人形

 

枝の先に餅花をつけている。他では発泡スチロールで代替することが多いが、ここはしっかり餅をつけていた。

ここで初めて知ったのだが、「花巻人形」というのがあるらしい。東北の三大土人形のひとつで、江戸時代からの歴史がある。赤などの目立つ色を多用しているのが特徴的で、雛人形でいうとお雛様の十二単も色鮮やかに赤く色塗られていた。お内裏様も赤い着物を着ていて珍しいなと思った。会津の赤べこもそうだが、東北には赤い人形や玩具が多い。赤いものは魔除けの効果があると信じられており、共通点があるのかもしれない。花巻人形については花巻市博物館に詳しい展示があるので、また行ってみたいと思った。
ガイドは時間をオーバーして12:15ぐらいまで案内してくれた。そのまま各自食事を食べるために解散。3人のマダムは道中にあったお蕎麦屋さんに向かっていき、ガイドのおばさんは、駅前の喫茶店に入って行った。まよはそのまま遠野駅を後にして、自転車でバイパスに出てすき家へ。午後もしっかり走るので、昼食はどうしてもがっつり食べたかったのである。牛丼大盛、半カレーのセットなどさっきまでの情緒など全くない部活帰りの高校生みたいな食事を食べた。
名残惜しい遠野を後にして、自転車を走らせ釜石方向へ。仙人峠を越える。遠野の街が遠くなっていった。峠周辺はよく晴れて、あとは太平洋に出るだけ。太平洋に出れば若干なりとも暖かいだろうとこの時は思っていた。

仙人峠、釜石側。滑らないか内心ドキドキしている。

釜石市街までダウン。仙人峠は標高550mぐらいあるので、曲がった鉄砲玉の様に一気に降る。今ツアー初めての本格的なダウンだが、極めて寒い。顔がカチンコチンになって血の気がしない。ダウンの途中で止まって、自分の手で顔を温めるのだが、自分の手も冷え切っているので、そのまで効果はない。ゆっくり下って周りが暖かくなるのを待つしかない。
徐々に標高は下がっていって、フラットになっていった。かなり下がってきたはずだが、気温はなんだが寒いままだ。道中に道の駅があり休憩したが、休憩所がなく、あまり休めなかった。釜石市街まであともう少しなので漕ぐことに。
寒いなとおもっていたら、粉雪のような雪が舞い始めた。どおりで寒いはずでおる。汚れた世界の空から落ちた雪は、幸い積もるレベルの降雪ではないが、雪が降り始めると、顔に雪が当たって冷えるし、普通のメガネじゃ目に入り込んでくるので、あんまり降雪中に走るのは好きじゃない。
釜石駅で駅スタンプを押した後、今日のテンバまでの道のりをGoogleで調べた。釜石まで出てしまえばあとはもうすぐ、と思っていたのだが、30kmと出てきた。地図で見るとそんなに遠くには見えないんだが?そっと見なかったことにして先を急ぐことにした。
雪は止まなかった。リアス式海岸なので、街を越えるたびに大きなトンネルを越える。トンネルの中には雪も降っておらず、海からの潮風をシャットダウンできるためか、ほんのり暖かいのでずっとトンネルが続いて欲しかった。やっぱり寒いと余分なエネルギーを使うわ。冬は走れても1日100キロが限界だわ。よく走っていると思う。
大槌を過ぎて、吉里吉里という井上靖の影響でよく知った地名を過ぎる。本は読んだことはない。日本中を旅行していると、しっかり日本の小説も読んでおけば良かったと思うことが多々ある。あまりここで長居してしまうとナイトランになってしまうので、先を急ぐ。
徐々に暗くなってくる中、風呂を目指して一心で漕ぐ。この自分の身も冷え切った中で、目指す温泉が極楽京のように思えてきた。このトンネルを越えたら山田市街地が見えてこないかと、何回も思い続けていた。
雪は徐々に弱まっていき、街の灯りが見え始めた。ようやく今日の行程終了。目指す風呂屋の前に来た。自分の目で確かめて、ようやくこの風呂屋の実在性を確かめることができた。今すぐにでも風呂に入りたいが、ここは一旦落ち着いてまずは夕食。風呂の目の前におあつらえ向けの飲食店があったのでここに入った。
山田町と言えば牡蠣が有名なのでカキフライでも食べるかと思ったが、メニューになかったので、豚肉の炒め物を頼んだ。少しスパイシーで美味。その後早速風呂。風呂に入ることで、身体の芯まで温まることができる。

しっかり雪が降ってきて、路面も凍りそうで…死?

ツアーをしていると、ゆっくりできる時間というのが思ったより少ない。1人で自転車を漕いでいると、意外と前方に注意していないと危ないし、寒くて寒い以外のことを考えられないので。なんとか今日の命を繋ぐことを考えるので精一杯である。温泉という、絶対的に守られたスペースで、自分の太ももに生えた弱々しい毛を眺めながら、ようやく自分の立ち位置を把握できる。舞台上にいながら、やっと自分自身にスポットライトを当てられる時がやってくる。自分の内股の毛を温泉のお湯でつまんで遊びながら、なぜこんなところを1人でツアーしているのかと何回も思ったことがある。何か大きな目標があってやってきているわけではない。ツアーに大義も名分もコンセプトも求めていない。かといって自分の気の赴くままにやって来ているというわけではない。特に今回は、航空券を半年ぐらい前に衝動的に買ったもので、それを埋め合わせるかのように、今この場所を漕いでいる。まさか自分でもロードバイクで来るとは思ってもいなかったが。
自分の趣味を、冒険心という仰々しい言葉で説明する気は毛頭ない。別に身体が特段強いわけでない。むしろよく風邪は引くし、なぜか最近は熱中症にはなるし、社会人になって身体もやわになったと思う。なぜそれでもツアーに出てくるかというと、行かなければ分からないことが多過ぎると最近思うようになったからだ。花巻は宮沢賢治が生まれた街だが、賢治関連の文章に岩手山や早池峰山が出てくると、確かに花巻からは2つの大きな山が見えるんだろうということは地図を見ればわかる。だが、実際に行ってみなければその2つの山がどのように見えるのかが分からない。実際、花巻の高台からは、岩手山ははっきりと見えるが、早池峰山は北上山地の山々に隠れて見にくい。見えることは見えるんだろうが、冬のように降雪を伴う低い雲が流れると、たちまち見えなくなる。
この実体験こそがツアーの本質だと思うし、まよにとってのタウマゼインなのだ。コンセプトとか、大義名分は常に後からついてくるものなのだ。
風呂を閉店と同時の21時に出た後、コンビニに行った。ちょうどイートインがあったので、ここでお菓子を一つ食べた。夜の田舎のコンビニでも、人の出入りは多い。こんな時間にイートインにいるのはまよだけだったが。

山田町の津波防波堤。街からは海は一切見えない。

道の駅やまだおいすたに到着。新しめの道の駅で、トイレ前のスペースが室内テンバになっている。風呂を出る時は、寒いテンバに向かうのが憂鬱で、コンビニでお菓子を食べたのも、テンバに向かうのを遅らせるためで、本当らお菓子を食べたかった訳ではなかったのである。だからこそ、室内テンバと分かった瞬間のテンションの上がり具合は何物にも例えようがない。ものすごくテンション上がって、一つ一つの行動が早くなったり大袈裟になったりする。シュラフとギンマを休憩スペースの隅に敷いて、自分だけの御殿を作る。今夜の宿はどんな三つ星ホテルにも負けないと自負していた。今思えば全くそんなことないのに。興奮冷めやらぬ中就寝。

 

今ツアーの聖地②:神テンバ

 

2024/02/24 3日目

6時に起床。この時間になると道の駅の休憩所では寄合が始まる。日本の老人の朝はどうしてどこもこんなに早いのだろう。暖かいシュラフに包まりながら、バックの中からつぶれかけの薄皮あんぱんを朝ごはんを食べていたら、マダムに声をかけられ「ここはそういう寝れる場所なの?」と聞かれた。煽りかと思ったが、純粋に疑問で聞いたらしい。別れ際には気をつけてくださいねと声をかけてくれた淑女であった。
外はやはり寒い。空はうらうらと晴れてはいるが、路面は昨日降った雪のせいで濡れ、一夜明けて凍結している箇所が多そうだ。いつまで経っても出れそうにはないので、7時に道の駅を射出。

ようやく山田町の港を見れた。

国道45号線から県道に入って重茂半島方向に曲がって、本州最東端の地、魹ヶ崎を目指す。重茂半島は三陸海岸の中でも最大の半島らしい。三陸ガイドのHPを見ると重茂半島は三陸の秘境と言われているらしい。馴染みのない土地すぎて、土地感覚がわからなくなってしまい、この半島がどのぐらいでかいのか分からなくなってしまっていた。
県道に入ると、一気にアップが始まって地図で見たとおりのうねうねした道が始まった。よくあるアップとダウンを繰り返す道なりで思うようにスピードが上がらない。出発前には10時ぐらいには宮古市街には辿り着けるかなと思っていたけれど、入った瞬間に「ああ、これ午前中いっぱいは使うな」と感覚でわかる。とりあえずトレイルの始まりまでは急ごうと思ったその瞬間、ダウン中に凍結したカーブでタイヤが滑って、サドルから身が投げ飛ばされたと思うと、そのまま物理法則にしたがって、見事落車してしまった。
右膝を打ってしまった。ゴアと中のたまゆらで買ったズボンが破れてしまったが、身体からは血が出ていなかった。2つのズボンが身を挺して、まよの体を守ってくれたのだ。
ただ落車すると全身が痛く、10分ぐらいはやる気が起きなくなってしまう。膝がゆうこと聞いてくれてよかった。やっぱり2月はどんな天候であってもスパイクタイヤで来るべきだった。
落車をすると一気にやり気を失ってしまう。なんで自分はこんなところでチャリに乗ってるんだ、とか、なんでこんなに寒い日に外に出なくちゃらならないんだよ、と元も子もないことが頭をめぐり始める。猛烈に家に帰りたくなったけれど、幸い重茂半島には電車はないので、とりあえず魹ヶ崎には行くとこに。重茂半島が三陸の秘境で良かった。打った膝はしばらく青たんだったが、ハービーハンコックの「処女航海」を聴いていたらいつの間にか治っていた。
県道を外れてトレイルの登り口になってきた。ここを9時に出発。目的地の灯台までは3.7キロだ。チャリをデポるか迷ったが、デポりたくなったら好きな場所で放置すればいいやとそのまま持って行くことにした。結局灯台まで持って行ったが。
魹ヶ崎までの林道は最初は登り口調だが、担ぐことはなしに全部プッシングしていける。登りが終わると少し開けてくるので、ここら辺から所々自転車に乗れるゾーンがある。ただ、松の落ち葉がブレーキシューに挟まってブレーキが効かなくなるので、雪が積もっているゾーンでは慎重に漕いでいく。灯台まであと1.8キロ、あと600mという小さな看板があって灯台の近づきを感じると、一気に開けて、青い海と空が見えた。そして、青い空に突き刺さるように白くて大きな魹ヶ崎灯台が見えた。

魹ヶ埼灯台。写真で見るよりでかい。行ってみなければでかさは分からない。

ここから岩場を隔てて本州最東端の石碑がある。海は穏やかで、日光の黄金は夢のように水上に降っていきている。石碑の前で1人で記念写真を撮っていると、急激にスマホのバッテリーが寒さでやられて、昨日の夜充電した分が一気に50%から4%になってしまった。こんな寒さでやられるんじゃないよ、やっぱり冬ツアーはフィルムカメラで来るしかないな、と思いながらも金剛石の粉をはいているように輝く青い世界とお別れ。

本州最東端の碑。これでまよは本州4端を制覇。

こんなところ滅多に人は来ないと思ったが、帰り道ではかなり人とすれ違った。3組ほどのパーティとすれ違った。日本一周とかしているんですか?と聞かれたが、いいえ全くとしか答えるしかなかった。
なんとか登り口に戻ってこれたのは11時。腹が減っているので早めに宮古に着きたい。でも路面凍結が怖いのでダウンでスピードが出せないこのもどかしさ。ただ宮古側は路面に陽が当たっている箇所が多く、乾いていたのでスピードが出せた。長い重茂トンネルを越えて、いよいよ国道45号線に合流。あとは宮古の市街地に出るだけ。
ここから宮古市街までが遠かった。青いくるみも吹き飛ばすほどに向かい風で、なかなかスピードは出ないし、いよいよ腹が減り始めて漕ぐ力もなくなり始め、目の前に斜度の厳しい坂が見えるたびにサイコンで現在位置を確認していた。よくあることだが、地図で見てみると近いのに、実際に走ってみると気が遠くなるような遠さに感じる。最後の坂を越えると宮古の街並み、とは言っても端の端だが、が広がって一安心。勝手なイメージかもしれないが、長い坂をのぼると一気に町が開けるような道が山間の街や沿岸部には多い気がする。個人的にそんな坂を黄泉平坂と呼んでいる。

最初に見たものを親だと思う雛鳥のように、1番最初に見えたラーメン屋に慌てて入った。自分の気に合わせてラーメンと丼を注文して、ランチサービスの白米とキムチを食べた。
お腹は空くがそこまで大量に食べるわけでもないので、食べきった頃にはお腹はパンパンだった。備え付けの水も大量に飲んで、結局店を出るまで1時間ぐらいかかってしまった。ラーメン屋に1時間もいる人間なんて、ツアーで暇している奴しかおらんで。
ここから宮古の道の駅に行ったり、コンビニに寄ったりして宮古駅に到着。駅の待合室には、まだ出発の1時間前なのに、人が多い。まよも輪行状態にして静かに待っていた。

三陸沿岸部には常にかの大震災の津波浸水ラインが書かれている。どこもとんでもなく高い場所に線が引いてあって、驚かされる。

電車は15:54定刻に射出。蒼鉛いろの暗い雲から粉雪の降る寒い宮古を出発して、一途に盛岡に。乗る前は2時間以上列車旅は長いと思う。新幹線なら大阪から東京に行けてしまう。ただ暖かい車内にいると、どうにも眠くなってしまい、そのまま寝落ちして気付いた頃には、水墨画のような深い雪景色の山のなかを列車は走っていた。日も暮れていないのに雪が多くなると、風景がモノクロに見えるのはなぜなのだろうか。
すでに1時間が経過している。地図を見ると平津戸駅付近、早池峰山の裏側あたりだ。結局、このツアーは早池峰山の周りをぐるぐる回っていただけに過ぎない。外は寒そうで、日も暮れかけた夕刻で、こんななかを意地張って自走しなくてよかったと思っている。そして、よくこんな深い山の中に列車の線路があるなぁとも思う。窓に近づいて外の風景を間近に見ようとすると、窓ガラスはひんやりして、外の冷たさが伝わってきそうだった。
しばらくしてそとはトンネルの中を走っているのかも区別ができないくらいには真っ暗になった。18時を過ぎて、まだ真っ暗な森の中を走っていて、本当にあと21分後には盛岡駅に着いているのか疑わしかったが、いつのまにか盛岡市街地の灯りが周りには点っていた。
盛岡駅に着く。この田舎の列車に東北新幹線乗り換えの案内がアナウンスされる。鉄道のいいところは、この鄙びた路線であっても、東京までの線路が一つにつながっているという意識だ。

その後、盛岡の友人と会ってそばを食べたり、盛岡観光で友人おすすめのジャスのアルバムを買ったり、ずっと行きたかったカレー屋に行って3時間みっちりお話を聞いたりしたのだが、それはまた別のお話。

 

今ツアーの聖地③:落車ポイント

 


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